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★ 熊野古道・中辺路#4(小広王子→発心門王子) _ 2010-9-22_撮影_

熊野古道・中辺路のウォーキング4回目。 今回は、女坂(200弱m)、男坂(300)、三越峠(200)など3か所のピークを越えなければならず()内は標高差、最後の発心門王子への400m(距離)の登りがあり、距離は12Km、所要時間約6時間で一番きついコースであった。 道は一番、熊野古道の雰囲気がある杉木立が続く山道で、登りも木の丸太を楔で止めた不規則な階段状になっている古い山道ばかりで、語り部ガイドの説明の数分間、立停まりで休憩、腰を下ろして休憩することはなかつた。 殆ど木立の日陰で見晴がきく景色は皆無であった。  三越峠(みこし)の休憩所では、屋外の木陰で腰を下ろしてしばし休憩したが、大変心地よい風が吹いて生き返ったような気持ちになった。 古道の癒しは、この再生を得ることのようである。 古道沿いにある神社の○○王子や○○跡が目印であるが、多くが石の碑や案内板だけであり大きなものが祠や鳥居がある。今回の目玉というか印象に残ったのの一つ、蛇形地蔵は地蔵の背後の石の壁が蛇の模様になっているからであるが、これは元は海底であつた証拠だということである。 偶然にも その石垣の穴に潜ろうとしている蛇(マムシという毒蛇)を見つけて写真に収めた。 慕う男を追って熊野古道に来て山賊に殺された京都の女を祀る”おぎん地蔵”というのもある。 おぎんというのは京都の祇園の芸者なんか?。京都と云えばノーベル賞を戦後初に受賞した湯川秀樹の先祖が住み、多くの秀才をだした地、湯川王子がある。博士は湯川に養子に行き湯川は奥さんの姓であるが、博士も一族であるとのことである。 三越峠からの下りは、音無川沿いの道であるが、音無川は多くのところで水無川?になっていた湯川王子の手前の湯川川でも同様、水の無い川でした。  海の神さん大阪の住吉神社の流れをくむという船玉神社が何故山奥にあるのか、交通手段としての川と船を祀っているようだ。 、今回は暑かったが天候には恵まれた。ウオーキングの後は 湯の温度が違う露天風呂が沢山ある”わたらせ温泉”で疲れた体を癒した。  

●中辺路観光案内_______ ●熊野古道のルート(大阪のナマステさん)________ ●熊野古道(三重のfumikiさん)

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